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tamron MODEL A05 tamron
 SP AF17-35mmF/2.8-4
 Di LD Aspherical [IF]
タロムン・レンズ・テクノロジー
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 木村 惠一(きむら けいいち) back   作品一覧へ
木村惠一 パキスタンがインドから独立したのは1947年。そして僅か2年後に新首都イスラマバードをつくった。近代的なビルが立ち並ぶイスラマバードの街を後に今回は一路北をめざす旅にでかけた。パキスタンのノーザンエリアには北部山岳地帯を縫うように走るカラコルムハイウェイが通っている。中国との国境まで1,000キロ近く、しかしハイウェイはと名ばかり落石や雪崩が毎日のように何処かで起るちょっとスリリングな山岳街道だ。目指すは中国国境近くの長寿の桃源郷「フンザ」である。
かつては王国として栄えた美しい村で、山岳地帯に点在する村々に寄り道をしながら800キロの道のりを3日かけて走った。フンザ滞在中には少しトレッキングしカラコルム山脈の雪をいただいた7,000メートル級の山々も撮影する予定だったが残念ながら天候が悪く今回は山の写真はあきらめざるを得なかった。また来春に楽しみを残している。

今回の旅はカラコルム街道に沿って山岳地帯の村々を撮影するのが主なのでフットワークをよくするためカメラ、レンズとも必要最小限の装備ででかけた。レンズは(1)TAMRON  LD (IF)17〜35mm(F2.8〜4) (2)TAMRON LD(IF) 28〜300mm(F3.5〜6.3)予備として(3)TAMRON LD (IF) 28〜75mm(F2.8)の3本のみだったが、小さなバッグ一つで歩きまわることができ軽快な撮影ができ、結果的には大変質のよい画像が得られた。超広角側でのディストーションも少なく周辺光量不足もないシャープな像は他の2本のレンズと色再現にも変化がなく好感の持てるものであった。今回は17〜35mmの特集ということで取材したなかから17〜35mmレンズで撮影した写真だけで組んでみた。
1935東京生れ
1958日本大学芸術学部写真学科卒業
卒業後、写真家、渡辺義雄に師事
1960フリーの写真家となり週刊誌、月刊誌を中心に報道写真の世界に入る
1966〜68「週刊現代」"今週登場""アップ66"等時の人の人物ルポをカラー掲載
1966〜69「週刊現代」企業ルポ"企業の最前線""躍進する企業"を4年間掲載
1968企業の最前線"連載で第8回講談社写真賞を受賞
1969「週刊ポスト」創刊スタッフとして参加 企業ルポ"世界に挑戦する"を連載
1971週刊誌の仕事を離れ以後、月刊誌、写真誌等の仕事に移る
1972「日本カメラ」誌のテストレポートを担当(現在も連載中)
1973日本大学芸術学部写真学科講師となる
1974〜89雑誌「江戸っ子」創刊より“江戸一東京 伝統の文物”で江戸文化の形を記録連載
1975文部省の委嘱により、日独映像指導者会議と写真研究のため訪独
1976「京の山」「京の川」「京の里」の三部作を出版
1979写真展「京の山川里」を東京、大阪で開催
1980NHKテレビ写真講座に講師として2年間出演
1983雑誌「FOCUS」の創刊スタッフとして編集に参加
1984「中央公論」に“人物訪問”を連載
1986「ビッグマン」に“東京再見”を連載
1987写真展「分身妖朧」東京、大阪、福岡、札幌で開催
1990写真展「北朝鮮」を東京、札幌、大阪、福岡で開催
1992写真展「白州の水」を銀座フジフオトサロンで開催
「コマーシャルフオト」誌に“写真家の顔”連載
1994東京都写真美術館に、「企業の最前線」「帰省列車」「整形美容」等15点が収蔵
写真展「京・洛中洛外1975」をJCIIフォトサロンで開催
主な出版物「紙」「私と根付」「江戸職人」「京の山」「京の川」「京の里」「ウイスキー博物館」「北朝鮮」等
展覧会「京の山川里」「IRON」「分身妖朧」「刺青」「北朝鮮」「白州の水」等
現在(社)日本写真家協会常務理事・日本写真協会理事・日本大学芸術学部講師・NHK学園講師・六の会同人
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