インタビュー

 

車いす陸上のトップアスリート、洞ノ上浩太さんインタビュー

洞上選手

タムロンは、ハンデキャップを抱えながら夢の実現のために日々努力し、たゆまず挑戦を続けている障害者スポーツ選手を支援していきます。車いすマラソンの日本記録保持者で世界のトップアスリートとして成長、進化を遂げている洞ノ上浩太さん、昨年からタムロンの障害者スポーツ選手支援プログラムに参加いただいています。 車いすランナーにとっての聖地である大分において、車いす陸上に賭ける「夢」を語っていただきました。

洞上選手

洞ノ上  浩太選手

ほきのうえ こうた

1974年3月30日福岡生まれ
ヤフー株式会社所属

25歳の時にバイクの事故で脊椎損傷し車いすの生活となり、知人の紹介で車いすマラソンを始める。2002年大分国際車いすマラソン大会ハーフの部(21.097km)で デビューし、2006年、極東・南太平洋障害者スポーツ大会日本代表。フルマラソン金メダルを獲得する。2008年福岡スポーツ夢大使に任命され、厚生労働大臣賞を受賞する。2008年の北京パラリンピックに出場し、5000mとフルマラソンにて5位入賞を果たす。
2010年には、10,000mと5,000mで日本記録を樹立。2011年にはフルマラソンの日本記録を樹立し、日本の車イス陸上競技のトップアスリートとなる。
昨年のロンドンパラリンピックでは、5,000mとフルマラソンに出場し、フルマラソンで6位入賞を果たす。
今年4月ソウルマラソンにて、自身の持つ日本記録をさらに更新し、好調をキープしつつ、新たなトレーニング法を取り入れ、スピードとスタミナをさらに磨き、益々充実の時を迎えている。
今年7月フランスリオンで行われたIPC世界選手権陸上競技大会車いすマラソンで3位銅メダル獲得。現在は、2016年のリオデジャネイロパラリンピックと2020年の東京パラリンピックを見すえ、金メダル獲得に向けて新たなチャレンジが始まっている。車イス陸上競技において日本を代表する世界的なトップアスリートです。

ブログ洞ノ上浩太さん、オフィシャルブログはこちら

洞上選手

Interview

25歳のときにバイク事故。
医者から「もう車いすですね。」
無情な宣告だった。


自分は、体を動かすことが大好きで、社会人野球にのめりこんだり、バイクのツーリングによく出かけたりしていました。あれは、26歳の誕生日を迎える4日前のことですが、バイクのモトクロスで事故を起こしてしまい、左大動脈を切断、死の淵をさまよいました。何とか一命をとりとめ脊髄専門病院に移り、間もない時に主治医の先生から「もう車いすですね。」と宣告されました。その時は、足も少しは動くし、このまま治療とリハビリを続けていけば、必ず治ると信じていましたから、その言葉に実感はなかったですね。「嘘でしょう。」という感じでした。

でも、その後一向に足は動かないし、今まで出来ていたことがまったく出来なくなっていく自分を見て、その言葉を受け入れざるを得なかったです。ショックでした。暗闇の病室で一人布団の中で、涙していました。不安と挫折感と失望感でまさにこの先真っ暗の心境でした。

毎日、不安にさいなまれながら何もしない自分がずいぶん続いたことを思い出します。 ある時、リハビリセンターに行ったとき、足の動かない子供たちやお年寄りの方々が一生懸命元気にリハビリをやっている姿をみて、初めて自分を受け入れました。


そんな自分を救ってくれた笹原君の一言。


「洞ノ上さん、車いすマラソンを見に行きませんか?」友人である笹原君が声をかけてくれました。誘われるままに、競技を見に行きました。その時、笹原君はハーフマラソンで優勝したのですが、なんといっても、車いすマラソンのすごいスピードに圧倒されました。それまでは、生活用、リハビリ用の車いすしか経験がなかったですからね。それを見て、車いすマラソンをやってみようとすぐに決心しました。人生のターニングポイントって、こういう時なんでしょうね。あのとき笹原君に誘われなかったら、今の自分はなかったと思います。


世界のトップランナー副島さんの背中を
追い続けた毎日。


2002年、ちょうど11年前のこの大会、大分国際車いすマラソンのハーフでデビューしました。その大会で、車いす陸上でのトップアスリートである副島さんとお会いできました。副島さんから、「本気で車いすをやるんであれば、一緒にやりませんか。」と言っていただきました。

副島さんと一緒に走り始めた当時は、全く彼のスピードにはついていけずにただただひたすら彼の背中を追い続けていました。 毎日毎日彼に追いつきたい一心で練習したある日、日本身障陸連から強化指定選手になった手紙が送られてきました。自分では全然気づかなかったのですが、ある大会で強化指定選手のタイムを切っていたとのことでした。それまでパラリンピックに出たいとか、世界のレースで走りたいとか思っていませんでした。副島さんのように速く走りたい、副島さんに追いつきたいだけで、練習に打ち込んでいましたから。驚きました。急に、目の前が開けたとういう感覚でした。

副島さんは、恩師でもあるし、あこがれの人です。レースでの彼の強さは、ご存じの通りですが、彼の競技への姿勢、練習への取り組み、そして、人間的な魅力、こういう人に自分はなりたいと思える、人生の師でもあります。彼との出会いがなかったら今の自分はなかったでしょう。ここまで速い選手になれなかったし、まして、こんなに人間として成長しなかったのではと思っています。


車いす選手に引退はない。


副島さんは40代になられましたが、まだ現役バリバリです。また、世界記録を持っているハインツ選手は55歳でいまでも世界のトップランナーとして走り続けています。偉大な先輩方がいたからここまで成長できたと思っています。ですから、いつまでも走り続けてほしいですね。車いす陸上選手のほとんどの方は、成人してから脊髄損傷により車いす陸上を始めていますから、30歳前ぐらいからようやくレベルが上がってくるようです。いくつになっても成長できる選手生命の長いスポーツです。これも車いすマラソンの魅力です。レース中は他の選手との微妙な駆け引きがあり、争う選手の息遣いや表情などを見ながら、自分の調子や天候、風向き、ロードの起伏などの状況を考え、瞬間的に仕掛けをしていきます。体力やスピードだけではなく技術的な側面やメンタル、そして経験がものをいうスポーツなんです。

これから頭角を現す若い選手たちのためにも、副島選手やハインツ選手のように頑張って目標となる選手になりたいと思います。それが、日本の車いす競技全体のレベルアップにつながっていくと思っていますから。


 

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