インタビュー

 

期待の新星「義足のランナー」、高桑早生さんインタビュー

高桑選手

タムロンは、ハンデキャップを抱えながら夢の実現のために日々努力し、たゆまず挑戦を続けている障害者スポーツ選手を支援していきます。高桑早生さん、昨年ロンドンパラリンピック100m、200mで見事に入賞した成長著しい「義足のランナー」。 今年からタムロンの障害者スポーツ選手支援プログラムに参加いただいています。 前日までの台風が去り、どこまでも続く青い空の下で、「義足のランナー」として、陸上に賭ける想いを語っていただきました。

高桑選手

高桑 早生選手

たかくわ さき

1992年5月26日埼玉生まれ
エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社所属

小学校6年生のとき、彼女を骨肉腫が襲い、3度の手術を受けたあと、左足を切断。高校に上 がる少し前に切断者スポーツクラブに出会い、自分と同じような障害をもった人たちが「板バネ」と呼ばれるスポーツ用の義足でグラウンドを疾走する姿を見て新しいことを始めてみようと思い、高校の陸上競技部に入部。 陸上を始めて5年、 めきめきと記録を伸ばし、昨年9月のジャパンパラリンピックでは100mで13秒96 日本記録に0秒12に迫った。ロンドンパラリンピック100mで7位入賞。200m予選では、自己ベストの29秒37で決勝に進み、100mと同じ7位入賞を決めた。
2016年のリオデジャネイロパラリンピックを目指す~

ブログ高桑早生さん、オフィシャルブログはこちら

高桑選手

Interview

陸上との出会いと義足への想い。


中学の時には義足でテニスをやっていましたが、義肢装具士の高橋さんに作っていただいた日常用の義足を改造した「お試し用スポーツ義足」で、自分でも驚くほど早く走ることができたことから、陸上をやってみようと思いました。特に短距離は思いっきり体を動かしてやるスポーツというのが本当に楽しくて、高校では陸上部に飛び込みました。

その後、高橋さんに本格的なスポーツ義足をつくっていただき、高校2年の夏にはアジアユースパラゲームス(14歳から19歳までのアジアユースパラリンピック)で、100メートルと走り幅跳びで金メダルも取れましたし、どんどん記録も伸びるし、ほんとうに楽しかったですね。その時の、黒と紫を基調としたペイズリー柄に包まれた義足が大好きで、周りの人に見せたくてしょうがなかったことをよく覚えています。


ロンドンパラリンピックは想像していた以上の
夢舞台でした。


ロンドンパラリンピック直前の選考レースで、100メートルで14秒12。200メートルで30秒32の自己記録をだし、しかも日本記録保持者で、憧れの大先輩である中西麻耶選手に初めて勝つことができ、夢にまで見たパラリンピックに出場できました。そこは、自分が想像していた「夢の世界」をはるかに超える「夢」が待っていました。スタンドを埋め尽くす8万人の大観衆。スタンドを揺るがす大声援。ものすごく緊張もしましたが、高揚感に酔うことのできた、まさに夢の瞬間でした。「もう一度あの場面に絶対に立ちたい。」と誓う瞬間でした。


リオパラリンピックには、
日本記録保持者として出場したい。


リオでの目標ですが、「自分を超える」ことです。出場するすべての競技で入賞して、最低でもロンドンの時の自分の記録をすべて超えたいです。リオまではあと3年ですが、3年は長いようで短いです。何らかの成長がないと意味がないと思っているので、「自分超え」のために一日一日を大切にしていきたいです。

やはり陸上選手として日本記録にはすごくこだわりを持っています。 一つの大会での勝負は、そこで終わりますが、日本記録は破られない限りずっと記録として残るわけですから、日本記録の重みは違います。日本記録とは、「昔の自分を超えること。」だと思います。成長の証だと思っています。リオには日本記録保持者として出場したいです。


リオの次は東京が待っている。


2020年に東京パラリンピックの開催が決まりました。その時自分は28歳です。陸上選手として最高のパフォーマンスが発揮できる20代でまた夢の舞台に出場できるチャンスがあると思うと、自分はなんてラッキーで幸せなんだと感じています。 東京パラリンピックは、自分の陸上選手としての一区切りの時、集大成の時だと思います。今までの陸上人生のなかで一番のパフォーマンスが出せるようにしたいです。そして、いろんな人たち、たくさんの人たちに自分の最高のパフォーマンスを見てほしいと思っています。


 

次のページへ   >>>

高桑選手
高桑選手

写真:竹見脩吾


高桑選手
高桑選手
高桑選手